DVなど大きな傷つきがある人にとってコロナの影響が重なりやすい… 今やらないといけない、と支援にとりくむレジリエンスさん
NPO法人レジリエンスさんは、DVや虐待、モラハラ、いじめ、パワハラ、その他さまざまな原因による心の傷つきやトラウマに焦点をあて、講演、研修、ワークショップなど、情報を広げる活動をしています。
レジリエンス(Resilience)
とは、英語で色々な形の「力」を意味します。例えば、回復力、復元力、元気、快活、弾力、反発などです。どのような逆境に置かれても、耐え抜く力、そこから脱する力、新しくエネルギーを発揮する力、マイナスのものをプラスに変えていく力 — これらをイメージして、私たちのグループをレジリエンスと名付けました。(ホームページより引用)
コロナ禍でステイホームを強いられるなか、さまざまな生活不安・ストレスも加わり、家が安全ではないとき…DVや虐待の増加や深刻化については、ほんとに心配な状況がつづいています。今回、コロナ禍がDVなど大きな傷つきのある人へおよぼす影響について、その対処や取り組みについて、レジリエンスの西山さん、中島さんにお話をうかがいました。
(インタビューは10月下旬、オンラインで行いました)
》NPO法人レジリエンス(HPヘ)
過去に大きな傷つきがある人にとってコロナの影響がすごくかさなりやすいです
—最初に、コロナの影響から教えてください。
DVに限定せず、子どもの頃の虐待や、いじめ体験、性暴力被害など、過去に大きな傷つきがある人にとって、コロナの影響がすごくかさなりやすい、ということがあります。例えば…
安全感を感じられないこと
「(コロナで)外に出たら危ない」というのは、すぐ身近に危ない存在がいる、ということとかぶったりします。
それにともなう感覚として「恐怖感」があります。常に恐怖を感じていないといけない、というのは、コロナが起きたことによって、さらにそこに足されるかんじになっています。
先がみえないこと
ひどいことを何度も何度も経験しないといけなかった人にとって、渦中にいるときは、暴力や虐待がいつ終わるかわからない、光のみえないトンネルのなかにずっといるような感覚でいます。
コロナも、1月からカウントするともう10ヶ月。これだけ時間がたっても、治療薬もはっきりみえてこないし、いつになったら状況がよくなるのかわからない、終わりがみえない、想定できない、ということがかぶります。常に不安感があって、落ち着いたり、ゆったりする感覚にはなかなかなれません。
混乱
暴力・虐待は混乱をもたらします。
「なんで…こんな目にあわないといけないのか」「なんでこんなことを言われないといけないのか」との混乱があります。
コロナには矛盾した情報が多くあります。
最初、家から出たらいけない、人と接触しない方がいい、という情報があったなかで、数ヶ月後には「Go To Travelキャンペーン」「Go To Eatキャンペーン」が始まったり… 正反対の情報ですから、混乱しても不思議ではないです。治療についても、「新しい薬が出ました、効くかもしれません、いや違いました」と。情報量が多く、整理したりついていくことが大変という混乱もあったりします。
無力感
特に春の頃、基本的に家から出られなかったときに、多くの人たちにとって、実際に体が動きにくくなったかと思います。こういった状態は、ひどいことをされているときに固まる反応と似ています。逃げられない感覚。
コロナに対して、マスクや消毒はできますが、ウイルスは目に見えるものではなく、見えないものなので気をつけることしかできない…完璧に自分を守る方法がないと感じるかもしれません。
本人が望んでいないことを防げなかったという無力感は、トラウマにつながります。
恥や罪悪感
日本を含めてアジア系の国は、欧米にくらべて、「恥」を感じさせる場面が多いかもしれません。
「人に迷惑をかける」というのは日本では日常的に使うけれど、英語ではそんなに使わない言葉です。他の人の負担になることを重視したり、どう思われるを重視する社会で、恥や罪悪感が大きくなるような気がします。調査でも、日本の方が感染した人を責める傾向が強いです*。
感染した人がひどいことを言われる、罰せられる、自己責任という言葉もくっついてきたりしています。病気になった人を責めるというやり方は、恐ろしいと思います。感染への恐怖感がもっと大きくなったり、自分がかかったらひどい目にあう、恥や罪悪感を感じさせられる…。「自己責任」というと正当化する理由のようにみえるかもしれませんが、自己責任は要注意な言葉だと思っています。
例えば、DV被害や性暴力被害にあった人を責めるときにも、「なぜそんな人とつきあったの」「いやだったら家を出ないの」「なんで警察に行かなかったの」…など、被害にあった人が責められるのと同じ構造が発生しています。
被害経験が過去にない人にとっても、コロナの影響は大きいと思いますが、傷つきをかかえながら生きている人たちにとっては、過去の経験と重なることで、つらさが、何倍にもなってしまったように思います。
睡眠への影響
睡眠に影響を受けた人も多いです。
コロナが発生してからは寝られなくなった、寝られても質が悪くなった。処方薬で身体は休んでいる状態にはされても、疲労が蓄積されていくことが何ヶ月もつづいている、などで悩んでいる人も少なくありません。
解離[かいり]
解離も増えていると思います。
もともと解離でサバイバルしてきた人たちは、解離の頻度が増えたり、深刻さが悪化していると思います。「時間がどんどんたっていたのに自分は気づいていなかった」「今日一日なにも覚えていない、昨日も覚えていない」など。
コロナで、平日も週末も関係なく家にいないといけなくなり、曜日の感覚がなくなったところに、プラス解離をすると、時間の流れがわからなくなってしまいます。
2020年1月の段階では誰にも想像できなかったことが3月には大きな影響をおよぼしていたわけですから、速いスピードで近づいてきた問題です。ほんとに起きているのかそうでないのかが分からなかったり、現実と感じにくかったり、分からなくなってしまうことによって混乱する。勢いづいて近づいてきた感覚は、ストーカー被害の経験のある人だったら、常に後ろから危ないものが追っかけてきている感覚ともかさなる感覚があると思います。
*》『新型コロナウイルス感染禍に関わる社会心理学研究(ウェブ調査)』情報まとめ 大阪大学大学院人間科学研究科 三浦麻子氏
ー大きな傷つきの体験とコロナとがかさなりやすい、という話はとてもわかりやすいです。そのほかにも影響や声が届いていますか?
シングルマザーで解雇された人もいます。出勤停止があったり、「自分が病気になって働けなくなって子どもを育てられなくなったらどうしよう」という不安がでてきたりしています。
家が安全ではなく、学校に行っている時間はホッとできていた子どもも、家のなかにずっといなきゃいけないのはすごくつらかっただろうと思います。給食が食べられないデメリットも大きかったかもしれません。
IT化を、職場でも学校でも進めないといけなくなって、そこが大変だった、という人もいると思います。不調をかかえている親が、家庭の中のIT化を子どものために準備できるかというと…なかなか大変だったのではないでしょうか。
お金の問題も、そのために動く気力もないということもあるのです。
そして、家の中が見えてしまうことで、つらい思いをしている人がいるという話も聞いています。ある大学生は自分の部屋がなくて、リビングの床にパソコンを置いて授業を受けないとならない。実は1LDKに大家族で住んでいることを誰にも言ってなかったけどオープンになってしまったということもありました。
それほど大きな問題がない家族でも、24時間家族がずっと家にいたら、大変だったりします。ちょっと距離があることでバランスがとれていた夫婦、親子… などにいろいろな問題が起きている場合もあります。
一緒にいる時間が長いので暴力のリスクがあがるのに、相談電話ができない…
DVの場合で、自分も相手もリモートワークで家にいたりすると、相談電話ができなかったり、一緒にいる時間が長いのでいつもより暴力のリスクがあがります。
DV加害者がリモートワークになれば「子どもが騒いだらどうしよう…」「子どもが意にそぐわないことをしたらどうしよう…」などと、被害者はおびえながら過ごさなくてはならないかもしれません。
2人ともリモートワークをしていたら、加害者は被害者のリモートワークを邪魔するかもしれません。被害者が持ち帰った仕事の資料を加害者に破られた…という話も聞いたこともあります。
被害者は会社に行って仕事していると加害者と切りはなされるので、ある程度安心して仕事をしたり自分の時間にすることができていたのが、加害者のいる家の中で仕事しないといけないとなったら、それは困難をもたらすのです。虐待のある家だったら、そこでリモートで勉強しなきゃいけない状況も困難です。
そういう問題をかかえながらも相談につながれていない人たちが結構いるんじゃないか、そこで子どもたちも苦しんでいるんじゃないかと思います。
状況的にいろいろ心配です。
暴力や虐待(の手段)を使っている人は、ちょっとでも負荷がかかると、それを口実に、だれかを攻撃したりする可能性があります
コロナの影響で仕事を失った人たちのなかでは、グリーフ(大きな喪失にともなうすべての感情や反応)の感覚も強烈になったと思います。仕事を生きがいだと思っている人が、いきなりの不況で失職するのは、自分のアイデンティティを失うような大きな喪失で、喪失にともなうグリーフも大きくなります。
巨大なストレスを抱えながら、人に健全にかかわることは難しいです。そもそも、暴力や虐待(の手段)を使っている人は、ちょっとでも負荷がかかると、それを口実にして、だれかをいためつけたり攻撃したりする可能性があります。そうすると、DVや虐待が悪化します。
逃げ場がないことや、助けをもとめようと思ってもその隙[すき]となる時間さえなく、常に監視されているような感覚…
そう考えると、コロナの影響は、なんらかの大きな傷つきを抱えている人にとってはとても大きなストレスになったと思います。
コロナと加害者のどっちがこわいかといったら加害者…という状況で「今やらないといけない」
—レジリエンスさんはどんな取り組みをされてきました?
「こころのcare講座」*は、今年の4,5月はとめていたのですが、6月からちょっとずつ再開しました。講座は人が集まるので、その恐怖感や不安感もあったと思いますが、それよりも、そういう場や情報を必要としている方がいる、ということが見えてきました。
実際に何人かの人と話したときに、「家にいて、ひどいことをされ続けているから、コロナか加害者かどっちがこわいか、といったら加害者から傷つけられる方がこわい、(コロナは)加害者ほどこわくない」という話がありました。
暴力や虐待を経験したことのない人には想像しにくいことかもしれませんが、パンデミックの状況でも、それにまさる恐怖の対象となる人物がその人の身近なところにいる…という状況があったりするのです。
<コロナが大変になっていく時期に、レジリエンスさんが、動画のメッセージを配信されたのを目にして、力をいただいたこと覚えています。(3.28付の「デジタルニュースレター、始めます」の動画でした。 》記事へ )>
新しい取り組みとしてオンラインでこころのケア講座をはじめました。
最初の頃の撮影は… 仕事に行った先で木にスマホをかけて撮影したり、カラスが撮影中に鳴いたり…大変でした。
動画にでるのは2人共、苦手ですが、
「やらないといけない。今、必要なんだよね」と。
やってみたら、不調で家から出られない方がオンラインだから参加できたり、いつかは来たいと思っていたという遠方の方が参加できたり、想定していなかったメリットがありました。
「コロナ禍で不調になるのは自然なこと、睡眠に影響がでるのも自然です。」とオンライン講座で伝えてきました。コロナとトラウマのオンラインセミナーも10月11月に開催しました**。
「みんなはうまくやれてるんじゃないか…」と孤独が刺激されたりしますが、情報発信をして、だれかの気持ちが少しでも楽になるように取り組んでいます。
*こころのcare講座:DVの様々な形態、トラウマに対するためのツール(対処法)、人との境界線、より良いコミュニケーションの方法、家族や自尊心などについて考え学ぶ講座です。合計12回、単回の参加も可能です。
**新型コロナウイルス感染拡大と心のケア:10/13、11/21の2回開催されました。
》レジリエンスオンライン
オンラインデジタルこころのcare(ケア)講座や、話題のトピックや人物へのインタビュー、トラウマの影響でしんどい時・孤立感を感じる時にできる方法など、さまざまな内容を配信しています。
つながりが難しい状況のなかだけど、いいつながりを…
—最後に、読者の方へのメッセージをお願いします。
もし不調の人がいたら、それはすごく自然なことで…
お困りごとがなになのか、どこが頼れるかな、なにができるかなということを、相談員さんやだれかと、一緒に考えることは大切だと思います。
コロナのことで、「ソーシャルディスタンス」という言葉が広がっていますが、それは人間関係があぶないと伝わりかねない言葉で、本当は、「フィジカルディスタンス」の方が適切です。人との実際の距離に気をつけたり、一緒に食事するのは気をつけるということで、人があぶないのではありません。こういうときだからこそ人とのつながりは大切だと思います。
多くの人が無力感を感じていますが、できることはあります。(フィジカルな)距離、消毒、マスク…。報道では毎日感染者が何人とでていますが、みんながマスクをしたり、消毒することでウイルスが消えたり、退治できているのです。報道されていなくても実際にできていることがあるということを理解していくことも大事です。
(まわりの方へ)
コロナでいろんな困りごとが増えていたりします。困りごとに具体的なサポートの手がとどくといいなと思います。
安全なつながりって、私たちを、心も身体も健康にしてくれるものなのです。
つながりのやり方はいろいろですけど、以前であれば同じ経験をした人たちが集まってイベントに参加するなどでしたが、オンラインであっても顔が見えるようなつながりはありますし、なにかひとことで 楽になることもあります。「いつも気にしてるよ」ということかもしれないし、「どうしてるかってずっと思ってたんだ」という言葉かけかもしれません。
つながりが難しい状況のなかで、いいつながりを検討していただけたら嬉しく思います。
相談先情報
・DV相談ナビ:発信地等の情報から最寄りの相談機関の窓口に電話が自動転送されます
・DV相談プラス
・配偶者からの暴力全般に関する相談窓口
》全国の相談支援センター一覧(令和2年4月1日現在 292か所 )
・警察へ相談する際は住所地管轄の「生活安全課」へ
・緊急時は「110番」
追記
『生きる冒険地図』と参考図書とチアキの絵の話
座談会を終えて
—『生きる冒険地図』(2019,学苑社)について…
この本は、子どもがひとりで手に取るより、だれか大人がいっしょに…「お困りごとなんですか…?」と開けるとよりよいですね。「お腹がすいてたらお芋をチンして…」と大人は思いつけるけど、子どもは思いつけないことをたくさん書いてあります。
通信制の高校で、ごはんに困っている子が多くて、コンビニで買っているとお金がどうしてもなくなるので、お米のとぎ方、ゆで卵の作り方、レンジでチンしたら食べられるレシピ集を考えている先生がいました。そういうことがこの本にはたくさん書いてあって、助かる子がいると思います。
—こんな情報も入ってたらいいかな、という情報がありますか?
すでに情報たくさんですが…
親のDVのことですかね。中学、高校に講演に行くと… DV家庭の子がいると思って話をしています。親のDVについて「自分が悪いから…」とか「あのときにあーしてたら」などと子どもたちは自分を責める傾向があります。「親のDVはあなたのせいでは全くないから、手放していいよ」を必ず伝えます。
「危険な大人をみわける」のページに家の外の人のことが書いていますが、「家の中の人」も危険だったりするんですよね。家の中だと、四六時中になるからこわいです。
虐待を受け続けたオルガさんの話で*、いいなと思っているエピソードがあります。
隣に住んでいたおばあさんが優しく声をかけてくれたり、スポーツのクラブに入るのを手伝ってくれる人が近くにいたりすることで、安心できる瞬間や、自分の得意な分野を伸ばすことができたというお話です。
小学校などでやってるクラブは、お金もそれほどかからず、スポーツが上達して自信にもなります。区役所などでやっているイベント、子どもの映画のイベントなども子どもにとっては楽しい経験です。親に心身の不調があったり、虐待やDVがある家では子どもがスポーツや文化的な企画に参加させてもらえなかったりしています。例えば、この本を手に取った支援者の人が、子どもたちがそういう企画に参加できるように支援する方法もあると思ってくれたらいいですね。
<プルスアルハの本は、開いたときに、カラーのページがあって、キャラクターの子たちの表現が、楽しくなるし嬉しくなる、感覚がかわる、感覚がゆるむ。文字だけではなくて、文字と絵を一緒の情報での発信がすごく助かるという嬉しい声もいただきました。>
リストになっていたり、読みながら書きこむ、チェックをいれるなど、読むだけでない動作が含まれるのは大きいです。読んでいる情報だけでなくて、自分に当てはめることも自然にできるようになります。子どもたちが自分自身の感情に気づいて、表現することの練習にもなります。
『ボクは話せない…』をある方に贈ったときに、ロボットのところで「読んだ瞬間に涙がでた。こうやって生きてきた、こうやってしか生きてこれなかった」とおっしゃってました。
絵、情報、そのコンビで、癒されたり、自分の理解を深められたりしている人が他にもたくさんいると思います。
—新たに取り上げられるといいテーマがありますか?
解離。
女子の少年院に行くと、多くが性虐待を経験していて、かなり解離の症状があって、生きていくのがほんとに大変そうです…。しかし解離という言葉も知らないし、誰も説明してくれる人がいないので、なにか伝えらえるリソースが増えたらと思っています。「あーそういうことなんだ」とわかって、自分は変なんだって思わなくてすむようなリソースが増えたらいいなと思います。
こころの状態のことを、言葉で説明するのは大人でも難しいですので、絵があるとわかりやすいと思います。
— 難しいテーマです… 描くのは難しいですが、大事なメッセージとして受け取りますね。
オルガさんの著書
オルガ・トゥルヒーヨ 著,伊藤淑子 訳,国書刊行会,2017
*
解離についてかかれた絵本
》『私の中のすべての色たち: 解離について最初に出会う本』
アナ・ゴメス&サンドラ・ポールセン著,市井 雅哉 監訳,大塚美菜子 翻訳,スペクトラム出版社, 2017
*
解離についての心理教育テキスト
久留米大学神経精神医学講座>心理教育テキスト>
(精神科医の大江美佐里先生作 主治医の先生と相談して取り組むイメージのテキストです)
*
子どもの気持ちを知る絵本②
『ボクの冒険のはじまりー家のケンカは悲しいけれど』(ゆまに書房)
両親のケンカをとりあげたプルスアルハの絵本
座談会を終えて
お二人の凸凹コンビとのオンラインでのお話は、(ぷるすあるはの凸凹コンビを軽く超越していて)、楽しい時間でもありました。そんな和やかなインタビューの時間でしたが…
大きな傷つきと、コロナのことを重ねて説明されていたお話はとてもわかりやすく、そしてしんどさが何倍、何十倍にもなっているという…今も家のなかで、怖い不安なしんどい思いをしている人たちのことを考えずにはいられません。
つながることがゴールではないけど…家の外のどこかへつながる、最初のアクションを起こせたら…。
最後に、中島さんがスキだという、「ずっとみていられるふしぎな絵」でコラムをしめます。『生きる冒険地図』(学苑社)の表紙・裏表紙のウラでつながっている一枚です。
大人に頼れないなかで生きている主人公のミルとイルを、コンパスの光が、進む道を照らしてくれます。絵のなかの「The dogs bark, but the caravan goes on.」は、20歳くらいで?出会ったときからお気に入りのことば。世間の目など気にするな、信じて自信をもって行け、と後押ししてくれるようなことばです(チアキ)。
「子ども虐待防止オレンジリボン運動 新型コロナウイルス感染症対策下における子ども虐待防止に資する活動への助成」を受けて行っています。