ゆるゆる子育てを担当している臨床心理士おがてぃが、子育ての相談に回答するコーナーです。
質問タイトル:イライラ対処法
(年れいを問わず質問したい)
質問内容
「早くして」と言う言葉はなるべく使わないようにしています。
が、平静を装い[よそおい]ながらも時々自分の中にいるデビルが大きくなってしまう事もあります。一対一ですと、まずは自分が隣の部屋で深呼吸など自分を落ちつかせる方法がありますが、集団保育ですと、そんな事はできません。他にもストレスは溜[た]まり、長期休暇が必要となります。
ちなみに私は親から叩[たた]かれて育ちました。今は子供からグーパンチを受けてメガネが壊[こわ]れたとしても、こちらは我慢[がまん]します。その子は、グーパンチをしたいほど、言葉にできないものが溜まっている。
おがてぃさんは、デビルがむくむく起きて来る事はありますか?
対処法[たいしょほう]で、何かコツやアィディアをお持ちでしたら伺[うかが]いたいです。
おがてぃの回答
メールを送っていただきありがとうございます。
非常に率直な気持ちを質問としてあげていただき、僕自身もいろいろと考えさせられました。メールを送ってくださった方は保育所やそれに類するようなところでご勤務されている人なのかなと思ったのですが、どうなのでしょうか。
こういった仕事をしていると、時々「おがてぃさんはご自身の子どもに怒ることはありますか?」「おがてぃさんみたいな親御さんの家庭で育つ子どもは、ほめられてばかりで、さぞかし幸せでしょうね」など言われることがあります。
でも、実際には僕自身も自分の子どもを怒ったり、叱[しか]ったりすることがけっこうあります。そのことで「自分は本来ならこういった相談でえらそうにしゃべっている人間なのだから、模範[もはん]にならなくてはならないのに…」とよく凹[へこ]んでいますし「いや、でも叱られる体験も時には必要だと思うし…」など自分に言い訳したりしています。
最近はこういった気持ちの葛藤[かっとう]が大事なのかなぁと思うこともあるのですが、それには二つの考え方の影響があるように思います。
ひとつは小児精神科医のウィニコット先生が語っている「ほどよい母親(good enough mother)」という概念[がいねん]で、「子どもの要求に大人が反応するのはほどほどが良くて、まったく反応しないのはまずいけど、完璧[かんぺき]に一から十まで反応しなくてもよいんだよ」という考え方です。
これは子どもが生きていく上で必要なニーズを満たしていく必要があるという一方で、すべてが叶[かな]えられるわけではない、という現実的な体験も時には必要だ、ということを意味しているのだと自分では理解しています。
昔はこの「ほどほど」という考え方が良くわからず、「どのくらい反応すれば、じゃあいいんだ!」とすっきりしない気持ちになりました。ですが、結局のところ、子どもの年齢や養育環境、保護者の状態、それこそその日の機嫌[きげん]や天候にすら左右されるので、その場その場で判断していくしかないということがだんだんとわかり、この曖昧[あいまい]さに慣れつつ、それを考え続けていくというスタンスになったように思います。
もうひとつ参考にしているのが、心理学者のバウムリンド先生が提唱[ていしょう]している養育スタイルの考え方です。
「受容性(子どもの要求を受け入れる)responsiveness」と「統制性(大人が主導で物事を進める)demandingness」という2つの軸から、養育スタイルには…
①独裁的養育(受容性が低く、統制性が高い)
②許容的養育(受容性が高く、統制性が低い)
③権威的養育(受容性も統制性も高い)
④無関心養育(受容性も統制性も低い)
の4つのスタイルがあり、③の権威的養育が望ましいというものです。
僕はこの考えをはじめに知った時、「権威的」という言葉になじめず、むしろ②の「許容的養育」の方がいいんじゃないかと思いました。しかし、実際に自分が子育てしたり、子育てに関する相談を受けていく中で「子どものいうこと・やることを100%受け入れていたら、生活が成り立たん!」という当たり前のことに気づき、少しは大人の言うことも聞いてもらわなければと思うようになりました。
ただ、その時に「じゃあいうことをきかせるためにどなったり、暴力をふるっていいか」と言われるとそれはNoなので、よりよい形で「こちらの言うことにも従ってもらう」ためのアプローチが必要だとわかり、以降それを考え続けています。
つまり、「大人が力づくで子どもに言うことをずっと聞かせ続ける」というのは良くないと思うし、「子どもが大人の言うことにずっと従い続けている」は不健全な気がしますので、やはり子どもと大人の意見をそれぞれ尊重し、お互いに満足できるところを目指すというのが大切かなと思っているということです。
だから「大人ばかりが我慢すればいいわけではない」「でも、子どもは小さいし、自分の意見も言いにくいから配慮はしなくてはならない」「でも、子どものやることを全て許容することもできない」「でも、怒鳴ったりせずに子育てはした方が良い。怒ることと叱ることは別」「でも、自分の感情も大事…」と何度も何度も自分の中で葛藤し、試行錯誤した上で、関わりを考えていくというのが今の現状です。
そういった意味では子育てを通じて、自分自身も鍛[きた]えられているというか成長している気がしますし、対等な関係とは何かということにも常に向き合っている気がします。
あとは「大人だって感情的になることもあるよね」「でも、それを子どもに押し付けちゃうのは良くないから、後であやまらないとね」ということも意識している気がします。感情というのはなかなか制御[せいぎょ]しにくいもので、どうしたって時々出てしまうものです。でも、それがむしろ自然なことですし、そうでない方が精神的に不健全ということもあるので、非常に扱いが難しいものになります。
子育て中というのはなかなか上手くいかないことの連続なので、イライラしたり、悲しくなったりすることもあるかと思います。なるべく深呼吸や自分なりのリラックス方法で対応しようと思いますが、やっぱり完璧にはいきません。むしろ完璧にこだわりすぎるとそれがプレッシャーになって、今度も子どもがかわいく思えなくなったりすることもあります。
なので、時には子どもに怒ってしまうこともあり、でもそれはある意味で自然で、でも怒り続けてよいわけでもなく、やはり理不尽[りふじん]なことを言ってしまったと思ったら子どもに謝ることも大事…というようなところかなと思います。
「ほどほど」とは難しいですね。それを目指して日々試行錯誤すること自体が、僕のデビルに対応するコツやアイディアなのかもしれません。