
おがてぃです。前回は「マイペースを大切にできない、環境側の方が本来変わるべきなのでは…」というところまで書きました。今回はその続きで、なかなかそうはならない要因について少し掘り下げていきたいと思います。
僕は海外で生活したことがなく、旅行もほとんどいったことがないので日本以外の文化や社会がどうなのかあまり知見がないのですが、今まで見知った範囲でいうなら、日本という社会は基本的に同調圧力が強い文化であると感じています。
これは先日留学生の方と話していた時に「日本の同調圧力はモンスター」と表現していたことがあったので、やっぱりそうなのかぁと改めて思いました。
そもそも社会というのは、社会構成主義の視点から考えると一人一人の認識や解釈によって形作られるとされています。日本に住む一人一人が、「別にマイペースに過ごしたくない」と思っている人はそれほどいない気がするので、本来ならマイペースが悪い意味で捉えられることもないし、マイペースに過ごすことが社会にもっと受け入れられるはずだと思います。
でも、そのようになっていないということは、個々人が「マイペースに過ごす」よりも「周りに合わせる」「揃える」ということが大事だと思っているから社会がそう構成されてしまっているのだと考えています。
そして、そう思わされているのは、幼少期からその価値観を刷り込まれているからだと思います。
で、なんでそんなに「周りに合わせる」が求められるのかというと、歴史的にはムラ文化であった影響が一つあるかと思います。ムラ文化というのは、元々日本は農耕民族で集落ごとに農業をしているところが多かったと思うのですが、この国は自然災害が多いので復興に人手が必要だったり、、平地が少なくて田畑を切り拓いたりするには、お互いに協力し合うことが必要だったからなのではないかと推測しています。そして、逆に協力しない人は「村八分」ということで排除される流れがあったのも大きいと思います。
また、基本的に日本の統治スタイルの影響もありそうで、江戸時代は「5人組」の制度で連帯責任をとらされていたので、互いを監視し合い、歩調を合わせるということを意識せざるを得なかったのではないかと思います。
明治時代以降は「富国強兵」という名目で軍人や工場で働ける人を増やしていくとなると「決められたことをこなす」「集団で動く」ということを身につける必要があり、学校などで集団活動を教わる機会が増えたのも大きいのではないかと思っています。
今は個性化の時代と言われて久しいですが、ぶっちゃけ大学生くらいまではそれほど個性的であることをは求められず、むしろ学校や社会の中では周囲に合わせなければならない場面が多い気がします。
入学式とか卒業式とかを見ているとそれがよくわかり、周りと同じようにきれいに揃えていることが求められ、周りと違うことが賞賛される機会があまりないのだと思いました。これは周囲の大人からもそうですし、同年代からもグループ内から浮いているとそれだけでいじめの対象になるということもあると思っています。
また、少し視点を変えると社会というのは「社会人」という言葉が「企業」「会社」「組織」の中で働き、経済活動に参加する人というイメージがあるように、企業や経済活動、あるいは組織のことを意味すると捉えている人が多いことも影響している気がします。
社会のイメージがそうだと、当然社会というものは組織や企業の論理で動いているものという認識がなされるので、個人よりも「全体最適」の方が優先されるものだと考えるようになります。
なので、多くの人はそこまで強く望んでないけれど、全体最適(こっちの方が儲かるとか、倒産しないとか、組織が生き延びるという視点)を考えるとそうした方が良いという考えがなされるということです。リストラとかはそんなイメージかなと思いますが、最近はその前に離職・転職する人も増えてきているので、ちょっとずつ変わっているのかもしれません。
僕は一部の偉い人たちが自分の利益のためにそうしているんじゃないかと過去には思うこともあったのですが、自分が管理職になっていき、偉い人達と関わることが増えていく中で、あまり偉い人達も自由に自分の利益だけ考えて動いているわけじゃないんだなということがわかってきました。
なので、誰かの一存ですべてがそうなっているわけではなく、その人たちもまた様々な影響の中でそういった選択をせざるを得ないことが多い野だろうと思っています(もちろん一部の偉い人たちで決まっていることも時々ありますが…)。
でも、よく考えるとおかしな話ですよね。「滅私奉公」という言葉もありますが、自己犠牲が美徳とされる文化がやはりあって、それは「私」よりも「公」が大事とされてきたということです。もちろん、わがまま放題で周りの人に害を与えてしまうのはそんなによくないかなぁとは思うのですが、でもそこまで自分を犠牲するのもまた何か違う気がしています。
まだ、深堀りが足りていないところは多々あると思うのですが、一旦今の考えで個人のペースと社会のペースが合わないということは、こういったところから始まっているのではないかと思います。
別に今の社会の考え方がまったく悪いというわけではないのですが、この考えが優勢である限り「マイペース」に価値を見い出してもらうことは難しいかも…と思っています。
なので、これをどのように考え方を変えていくとよいのかというのが、今僕が取り組んでいる課題になります。次回は少しそのあたりについて触れたいと思います。