
おがてぃです。前回は「マイペースに生きる」ということについて何で考えようと思ったのかについて書いてみました。2回目の今回は「マイペースに生きる」を考えたときに一番初めに思い付いたことについて書いていきたいと思います。
まず、前回も書いたのですが、マイペースに生きるのが大事だと思ったのは、日々いろいろな方の相談に乗っていた経験からになります。僕は普段あちこちでいろんな活動に関わっているので、相談の内容も子育てだったり、仕事だったり、病気や障害のことだったり、周囲の偏見だったりと様々なことがあります。そんな中で共通しているなと思ったこととしては「なんというか無理をさせられていて、それでうまくいってないんだな」ということがあります。
「無理をさせられている」というのは、例えば仕事が大変でいろいろと思い悩んで眠れなかったり、お酒の量が増えたりということがあったりするのですが、その場合は自分のキャパを超えた仕事の量だったり、内容だったりして、それでも仕事だからと取り組まざるを得ないということがあります。
これが子育てだと、どうしてもお子さんを優先して生活しないといけないので、保護者の方々は無理をしがちで、自分が疲れていても弱音を吐いたり、休んだりすることがなかなかできないということがあります。
病気や障害については、そもそも休んだり、いろいろとサポートを受けながら生活をしていった方が楽な場面も多いのですが、なかなかそれを周りの人が認めてくれなかったり、あるいは自分自身がそれを受け入れられなかったりして、結果としてより苦しくなってしまうということがあったりします。
そういう相談が多かったので、ある時「はて、人が生きていくためにはそんなに無理してまで、それをしなきゃいけないんだろうか…?」と思うようになり、なるべくゆるく生きていった方が良いんじゃないかと思うに至りました。
そもそもそこまで頑張らなくたって人は割と生きていけますし、基本的にできることしかできないんだから、できることはやって、難しいことは他の人やものにお願いすればよいという感覚があります。
ただ、どうも世の中には「成果主義」とか「成長欲求」という考え方があって、「今のままじゃだめだ」とか「もっとやらなきゃ置いていかれる」とか、そういう感じで追い立てられるような漠然とした感覚があり、ある種そうでないと落ちこぼれて生きていけなくなってしまうみたいに思ってしまう風潮があるのではないかと思うのです。
別に成長しちゃダメとか成果出しちゃダメというわけでないのですが、身体壊してまですることじゃないよなとは思います。なんというか本末転倒な気がするんですよね。だから、できる範囲、楽しめる範囲で成果を追い求めていればそれで十分なんじゃないかなぁと思ったりします。
そして、その成果を出さなきゃと追い立てられる感覚というのは、つい他人と自分を比べてしまったり、社会のスピードに追い付けてないと感じたり、自分ができていないと思ったりすることから生じるんじゃないかと考えました。
なので、その感覚があまり生じないよう自己点検できるとよいなと思っており、「自分」「他人」「社会」と追い立てられないように「ムリなくつきあっていく」という感覚があると、ほど良い感じになるかなと思います。
ぼくの相談はわりとそんなスタンスで進めることが多いので、だいたい相談が終わる頃には「なんかゆるまりました」とか「安心しました」とお話しされる方が多いです。それは少しその方がマイペースになれたということなんじゃないかなと最近は感じています。