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リレーコラム〜中高生の頃のわたしの工夫vol.2

リレーコラム〜中高生の頃のわたしの工夫vol.2
2016年3月27日 pulusu

子ども情報ステーション、コンテンツ制作チーム。中高生の頃のいろいろを思い出して書きました。ちょっと安心できる場所やアイテムや時間や工夫がテーマのリレーミニコラムです。第2弾。

中高コラム2

 

遊ぶ

小学生の頃ひたすらおとなしかった私は、中学生になりやっとしゃべりはじめ、中学生の頃のはずっと自分のキャラはどうしたものか、、、悩んでいたような気がします。家にいたくないから、とりあえず学校に行く。でも、大人のこと(先生)は全く信用していない。思春期特有の同学年の、パワーゲームのような気を使う世界もうんざり。特に誰かに心を開くというようなこともなく、ひたすら何か嫌なことを忘れるためのように、ストイックすぎる程部活にのめり込んでいました。

その部活の同級生に、本当にくだらないモノマネをしたり、私が笑ったことのないような、はじける笑顔でガハガハ笑う同級生につられ、少し憧れ、、、引っ張ってもらったように、少しずつ声を出して笑えるようになっていきました。そのチョットユニークな同級生と、夏休みは朝の5時から、カエル釣り、蝉とり、河原で焼き芋を焼いたり、、、自転車で1日中どこまで行けるか遠出をしたり。休みの日はゲームセンターに行き喝上げされたり、走って逃げて大笑いをしたり。本当に中学生?という遊びをしている時間は、家の中のしんどいことも、学校での煩わしい人間関係も、すっかり忘れて心から楽しんでいました。

小学生の頃から家も学校も気を使って生活していた私が子どもに戻れる時間。そんな時間が私を奮い立てさせて生きることができたのだと思います。

 

中学時代の安心といえば、自分の部屋にある机に座って過ごす時間だったと思います。とはいえ、中二の半ばごろまで、私はまったく勉強をしない子どもに仕上がりつつありました。当然、机にも寄りつかず、勉強とはほど遠い生活を送っていました。そのようななか、夏休み明けに転校してきた友達と仲が良くなり、彼が塾に通うというので、興味本位で自分も通ってみようかという気になり入塾。勉強というよりは彼と一緒にいると面白い、という単純な理由です。ところが、入塾後に知った驚愕の事実により、私の怠惰は矯正されることとなりました。入塾後はじめての全国統一試験で、彼の名前は市内1位、県内1位を超越して全国1位の欄にありました。突き抜けた優等生だったのです。私は彼からとてつもない刺激をもらい、一緒に勉強をするようになり、徐々に机に座る時間が増えていきます。そこではじめて、”一人で机に向かう時間は楽しい“ということに気づきました。彼と出会って以来、机で本を読む、勉強する、ぼぅっとするなど、長時間一人で机に座っていることが何よりも好きになりました。部屋のライトをオフ、机のライトをオン、机の前面には壁、という環境が好みです。なお、当時から20数年近く経った今でも、机は不動の癒やしスポットです。

 

画集

中学時代、女子グループの一大勢力のボスとケンカになり、私に対するシカト指令が発令されたことがあった。自分は悪くないという思いがあったので、謝るつもりも先生に相談するつもりも一切なかった。周りもわかっていたけど、その子を敵に回すことはできない。。。急に一人で過ごさなければいけなくなった昼休みの教室は、所在がなくて落ち着かなかった。静かで一人でいても違和感のないところ。図書館しか思いつかなかった。興味のある小説は読み尽していたので、いつもはあまり見ないコーナーを覗いてみることにした。かわいい色使いの背表紙が目にとまり、思わず手に取ってみた。びっくりした。画集というものを初めて開いてみた。アートというものに初めて触れた瞬間だった。本は文章を読むものだと思っていたけど、絵や色を楽しむものでもあるんだということを初めて知った。それからはいろんな画集を見た。よくわからなくても、観ているだけで楽しかった。写真集も面白かった。夢中になれるものを見つけると、その時間だけは嫌なことを忘れてドキドキ、ワクワクすることができた。難しいごちゃごちゃしたものに巻き込まれていたからこそ、観るという単純なことに夢中になれたのだと思う。

 

雪の日

高校生の時、2月に大雪が降ったことがありました。
家を出る時から降り始め、やむことなく降り積もり続けました。学校は、午前授業で下校となりました。

自宅の最寄りの駅からは、JRを使う方法と私鉄を使う方法がありました。JRは、時間は私鉄の半分ですが、昼の電車の本数が少なく試験の時は、帰宅するのに時間がかかりました。2年生になって大方の友達は、私鉄を選択していましたが、私は朝の発車時間が遅いJRで通学していました。
昼からの下校ということで、私鉄で帰ろうと思っていましたが、いつもは、止まることのない私鉄がこの日に限って、事故のため運休の箇所がありました。そこで、友だちは、別の東京を回る私鉄のルートで帰ると言います。通常でも、JRの4倍の時間がかかります。いつもなら、友だちと一緒の行動を選ぶ私が、その時に限って、一人JRで帰ることを選びました。

心細い思いで駅で友だちと別れ、私は、JRのホームへ行きました。電車は遅れていましたが、ホームに着くとすぐに発車しました。乗り継ぎの駅に着くとそこでも電車が待っていて、思いのほか早く地元の駅に着きました。国道から入った道は、その頃まだ舗装されておらず、普段は凸凹の道が、雪をかぶって平らになっていました、凹んだところに足を足られ何度か転びながら、自宅に着きました。
友だちのことが気になり、テレビを見ると大雪のため私鉄が運休であることを知りました。

一人で行動することの苦手な私が、どうしたことかこの時は、一人での行動を決めました。知らない電車に乗って遠回りするのが嫌だったのですが、自分で決めた行動でよかったと思えた経験でした。

 

体育館

中学生のころ。部活。トンデモナイ先輩後輩のルールや同級生の人間関係があったけど、体育館のコートの中にいるときは、ちょっとだけ元気になれる自分がいたかも。体を動かすことはとても好き。渦の中にいるときは、それが世界の全てだったけど、中学生のころにまわりにいた人たちと、大人になった今、なんのつながりもなくて、そのことに何も不都合はないと思う。コートとボールが友達って、まあそれもありだったのかな─と思います。

 

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