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Q4.自主性が育つことが生まれつきものすごく難しいと思われる子どもについてーゆるゆる子育て実践編

Q4.自主性が育つことが生まれつきものすごく難しいと思われる子どもについてーゆるゆる子育て実践編
2019年2月6日 pulusu2

ゆるゆる子育てを担当している臨床心理士おがてぃが、子育ての相談に回答するコーナーです。

 

質問タイトル:自主性が育つことが生まれつきものすごく難しいと思われる子どもについて
年れい:小学4-6年

 

質問内容

生まれたときからずっと、自主性がとっても育ちにくいです。
放置をしても自分で考えることがなかなか身につかないのです。ことあるごとに「自分で考えられるように」なるべく待ってきました。それでも決めることがとても難しい子です。待っても待っても自分で決めることが難しい、昔で言うアスペルガー受動タイプの特徴がものすごく当てはまる子です。
支援者や先生などから「自主性が育たないのは、親が待たずに決めてしまう環境だから。見守って待ちましょう。」と思われ、そんなのとっくにやってきましたと思うし、とてもトンチンカンなアドバイスをもらい見当違いなダメ出しをされ、抑圧する親のスティグマを押されて自尊心を傷つけられることも多いです。親が、主治医のアドバイスのもとスモールステップとして「選択肢を3〜4あげて選ばせること」について、「本人の自主性を損なっていますよね」とか「現在の学校教育のせいです。」とか言われて、もうわけが分からなくなります。
生まれつき受動タイプの子の自主性を育てるには、「選択肢から選ばせ、選択肢を、増やしていく。」「ICT機器を使った、音声入力でのアウトプット。(書字障害もあり、ICTを使っても気持ちや希望をを言語化することも難しそうにしています)」それ以外にできる、自主性が育つ、スモールステップの方法はありますか。

おがてぃの回答

 

メールを送っていただきありがとうございます。
メールの文面からメールをくださった方と周囲の支援者との間で、なかなかお子さんに対する理解が共有されていないことが伝わってきました。そういった状況だとしんどいですよね。そういった時って子どもも大人も周囲の人もなんとなく上手くいっていない感じがして、どうしようかと非常に悩まれることだろうなぁと思いました。
自主性ということが今回のテーマになっていますが、メールをくださった方は実際にいろいろなアプローチを試みているようです。きっと書籍を読まれたり、いろいろな方からお話を伺ったりと努力されてきたのだろうと推測すると頭の下がる思いです。周囲の支援者も、まずはこの方のされてきた支援自体から本来学ぶべきことがあるのではないかと思います。

 

その上での話となりますが、もし僕がアプローチしていくのであれば、まずは「そもそも今どのくらいの自主性が必要なのか?」というところに立ち返って考えてみるかなぁと思います。
世の中には走るのが苦手な子がいれば、歌うのが苦手だったり、背が低かったりと元々も素養が影響してそうなっている子ども達がいると思います。それは自主性と言った心の動きも一緒で、自主性を持つのが生まれつき苦手というお子さんもいると思います。
では、そういった生来の苦手についてはどのように取り組んだらよいでしょうか?
足が遅い場合、もちろん足が速くなる練習もするけれども、それだけではなくて足が遅くても困らないようにどう環境を調整し、自分なりの工夫で補えるかを考えることも時には必要かと思います。その割合は年齢によっても違いますし、周囲がどのような状況であるか、足が速い必要性がどのくらいあるかによっても異なってくるかと思います。

 

放課後児童デイのお話が出てきているので、何らかの支援が必要なお子さんだと思うのですが、現段階でどのくらい自主性が必要な状況下に置かれているのでしょうか?
それに合わせて、その子にどのくらい自主性を求めるのか、あるいはこちらが補ってあげるのかについて検討していくことが必要になるかと思います。
「今はやってあげられているからいいけど、自主性を育てないと将来困るのではないか?」と思われる方もいるかと思います。それに関しては「そうとも言えるし、そうとも言えない」と僕だったら答えます。
例えば何らかの障害で足に力がなかなか入らない子どもがいたとします。リハビリやトレーニングである程度回復が見込めるならそれをしますが、それによって歩いて生活するのが難しいと判断された場合は、車いすや杖を使って移動できるよう、何らかの代替え手段を考えるでしょう。
そういう時に「もっとトレーニングをしないから歩けないんだ」「親が甘やかすから歩けないんだ」というのはナンセンスな話だと思います。本人のやる気を引き出すのが、支援者の役割だからですし、親とどのような協力体制を築いていくか検討し、試行錯誤していくのは支援の基本だからです。
ただ、自主性というのはこころの部分なので、目で評価することがしにくく、歩くとかそういったものよりも、どのくらいの支援が適切なのか判断しにくいかと思います。そのためには保護者と支援者がなるべくこまめに情報共有し「今はこれくらい支援して、ここからは本人に任せてみましょう」というやり取りを双方の合意の上で取り組んでいくことが理想ですが、いろいろな理由でそこまで丁寧なやりとりができてないのが現状ではなのではないかと思います。

 

また、視点を少し変えてみて「自主性」とは何のことを指すのだろうかということも考えてみるのも大事かと思います。
大辞林などで調べると自主性とは「自分の判断で行動する態度。」と書かれており、日常的には「人に言われる前に、やるべきことを自分からやる人」という意味合いで使われているのだと思います。ただ、そこには必ず周囲の人からの期待や価値感、考えなどが影響しているように思います。例えば「朝あったらあいさつをするべきだ」という考えを持っている人からしたら、朝、あいさつをしない人とは「自主性がない」「失礼な人だ」と思われます。でも、単に「生活習慣として身についていない」「そもそもそういった文化圏におらず、教わったこともない」ということかもしれず、いちがいに「自主性」では語れない部分でもあるのです。
そのため、一見「自主性」の課題とみなされることでも、実際には別の課題がひそんでいる可能性もありますし、前述のように本人の素養を超えたことを求めている結果として問題が生じている可能性もあります。

 

大切なことは本人にとって適切な「自主性」のレベルになっているかどうか、その上でどのように本人に取り組んでもらい、どのように環境や周囲の働きかけで補ってあげるのかを考えていけるとよいかなと思いました。

おがてぃ
普段は行政機関で相談員をしています、3児のパパです。
臨床心理士。

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(子育ての質問は、2018年12月にウェブサイトで公募しました。現在、新たな質問は募集していませんm(_ _)m)