3「マイペース」なのは悪いことなのか?

おがてぃです。前回は「マイペースに生きる」ということが大事だと思い始めた経緯についてお伝えしました。今回はそう思ったはいいけれど、どうも世間的には受け入れがよろしくないと感じたことについて書いていきたいと思います。

マイペースに生きるのが大切だと思い始めてから、その人なりのペースで生きられるよう関わっていくということを意識して、心理的なサポートやケースワークをしています。
思いの外、手応えがあって、支援としては上手くいっている感じもするのですが、どうもこのことを伝えるとあまり相手方の反応がよろしくないことが多いです。だいたいの場合は「それはわかっているんですけど…」とか「周りが許してくれません」とか「そんなわがまま言っていいんでしょうか?」というような反応がかえってきます。

これはいったいどうしてなんでしょうか?そもそも人は健康でいたり、自分自身が幸福であったりすることが大切で、マイペースに生きることはそこにつながることだと思うのですが、どうもそれができない、あるいはしてはならないという思いがあるようです。

そもそもなんですが「マイペース」とはどういう意味なんでしょう。辞書的には「仕事などをする際に周囲にとらわれず、自分の進度を大切にする」という意味で、良い意味も悪い意味も特にない言葉になります。
ただイメージとして「のんびり屋」とか「自己中心的」というイメージがあり、周囲のペースに合わせない人という意味合いが感じられるようです。
また、日本の文化として周囲に合わせるということは、社会生活を営んでいく上で必須と呼んでもよいくらい重要視されていることが多いので、どうも「場を乱す」とか「チームプレイができない」という理解にもつながっていそうです。

このように考えるとマイペースであるということは、あまり良いことではないというイメージが持たれやすいのですが、個人的には「マイペースがあって、その上で社会のペースに合わせるということがある」という理解でよいのではないかと思っています。
どういうことかというと、社会のペースに別に合わせないわけではないのですが、まずマイペースが軸としてあり、そのマイペースを崩しすぎないように社会のペースに対して折り合いをつけていくという順番だということです。
なぜそのように思うかというと、今までの心理臨床の経験からマイペースが著しく崩されるような、あるいはマイペースがわからなくなってしまうような社会のペースへの合わせ方は不健全になりやすいということを実感しているからです。

なので、マイペースが良いとか悪いとかではなく、そもそもそこを起点として物事を考えていくということが大事なのではないかと思います。

社会人がブラック企業で働いて身体を壊すのも、学生が不登校で辛い思いをするのも、発達特性の強い人が集団になじめずに怒られてしまうのも、そもはその人のマイペース、健康で心地よく活動できる範囲というのがあまり大事にされず、環境側に合わせる方を重視されるから生じることだと思います。
なのでマイペースが悪いのではなく、マイペースを大切にできない環境側の方が本来変わるべきなんじゃないかと思うのですが…どうにもまだそういった理解はマイノリティだと感じています。このあたりはまた次回掘り下げてみたいと思います。

おがてぃの勝手にコラム「マイペースに生きる」

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