
こんにちは。おがてぃです。ここのところ「ゆるゆる子育て実践編」の方で相談への回答を書くことが多かったのですが、今回は自分発信でコラムを書くことにしました。
テーマは「マイペースに生きる」にしまして、はじめは何でそのテーマにしたのかについて書いていきたいと思います。
僕は普段心理職として仕事をしており、様々な人から相談を受ける機会が多くあります。年齢も乳幼児期のことから思春期、青年期、高齢期と幅広く、ジャンルも子育て支援から障害福祉、精神保健福祉もあれば学校臨床もあり、若者支援もあれば組織内の人間関係や人材育成の相談もあって…と様々です。
そういった多種多様な相談を受ける中で常々感じていることとして、いろいろなストレスによって心身の不調をきたしてしまった人というのは、やはり社会や人間関係の中で無理をしてしまったり、させられてしまったりした結果、そうなってしまったということが多いということです。
別にしたくてしているわけではないと思うのですが、自身も気づいていなかったり、周りも気づかなかったりで、いつの間にかそうなっていて、もう取り返しがなかなかつかないところまできてしまった…という感じであちこち不具合が生じたりします。
なので、なるべく「無理のない」状態で過ごすのが何よりだよなぁと思っていて、それは「無理がない」=「自分のペースである」=「マイペース」ということではないかと思い至り、最近は「マイペースに生きるのが大事」とお話しする機会が増えています。
ただ、このマイペース、いろいろ考えていくと意外とわかるようでわからないな…とも思っています。そもそも自分のペースって何がどうだとマイペースって言えるんでしょうか?人によってペースは違うし、その日の体調によってもたぶん異なります。年齢や置かれた状況にもよるかなぁと思うとけっこう可変的なものかと思いました。
また、例えば「あの人ってマイペースなんだよねぇ」という表現の場合、どちらかというとネガティブなイメージで用いられることが多い気がしています。なんというか周囲の和を乱すというか、本来なら周りのペースに合わせるべきなのに、そうではない、空気が読めないといったニュアンスです。
いま、ぼくは日本で暮らしているのですが、基本的にこの国は同調圧力が強い傾向があると感じており、周囲というか社会のペースに合わせることが求められることが多いと思っています。つまり、自分のペースよりも社会のペースを優先することが求められるということです。それは社会を維持するという意味ではある程度仕方のないことかもしれませんが、個人を犠牲にすることを強いるという意味ではよくないことだと思っており、このあたりのバランスは少し見直さないといけないのではないかと考えています。
一方で、ただわがままに自分のことだけ考えて生きていけばよいかというとそうでもないと思っています。この国の憲法では「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」とされているので、自由と幸福を求めるのはよいのですが、公共の福祉に反しないという条件がついているので、それもまた常にバランスが求められることなのだろうと思います。
時々ひきこもり状態の方の支援をしていると上記に関する葛藤を強く感じたりします。ご家族の心配はわかるけれども、ご本人の状態を見る限り、そんなにすぐには動けないし、でも本人の言い分だけきいていても、なかなか事態は好転しないし、確かに生活は困ってしまうし…という感じで、マイペースと社会のペースがうまく合致しないことがあるなぁと思います。
なので、このコラムでは「マイペースに生きる」ということはどういうことなのか?それは果たして良いことなのか?今のこの社会の中でマイペースに生きていくことはできるのか?「マイペースな社会」ということはあり得るのか?などについてあれこれと考えることをしていきたいと思います。
僕がこれからいろいろと模索していくところなので、特に答えがあるわけではありません。ただ「ゆるゆる子育て」をはじめ、発達障害の方への支援や希死念慮のある方々へのサポート、はては職場の人間関係では悩んでいる人に至るまで、この概念が整理され、きちんと価値のあることだと認識できるようになることには意義があるのではないかと思っています。
しばらく不定期にはなりますが調べたことや思いついたことを連載していければと思いますので、お付き合いいただけるとありがたいです。何か感想やご意見、質問などあれば、それもいただければ考える材料にしていきたいと思います。
ではでは、これからよろしくお願いします。