ぷるすあるはの制作担当、チアキの子どもの頃の話です。
本が好きな兄2人と父がおり、本屋さん?というくらいの本や漫画まみれで育った影響か、本や図鑑、漫画は大好きでした。小学校時代も、学校に行くと出かけたその足で、大きな本屋に電車に乗って行き、夕方まで、立ち読み巡りをしていました。宿題はしてなかったけど、勉強に苦手意識はなかったです。
思い返せば。
書くことがどうやら苦手ということは、小学校1年生くらいにはなんとなく気がついていました。
今も昔も、漢字は読めるけど、正確に書くのが苦手。
「漢字ドリル」は、キライすぎてなかったことに…。間違えないようにと何回書いても、間違えて赤ペンで書かれることが、苦痛すぎる記憶しかなく、名前くらいきちんと書きなさい!も聞き飽きるくらいに言われました。
ノートに線があると書きにくいことには子どもの頃から気づいていて、自分なりの工夫で、ノートは無地の自由帳で統一していました。また、教科書の文字がキライで、開くのもイヤでした。振り返ると、フォントと行間が読みにくかったように思います。
(テキストによって、読めないものがある話は、このコラムに詳しく書いています→ 》テキスト)
板書が苦痛、ノート提出が苦行すぎて、中学3年間勉強嫌いでした。
中学の、中間テストや期末テスト直後に、きれいなノート提出と板書にこだわる先生が3人いました。
板書・・・これが何をどうしても書けない。先生によっては、黒板の字がもはや暗号にしか見えない。板書しようとすると、授業の内容が全く頭に入らないんです。
ノート提出があることが苦痛すぎて、ちっとも勉強が面白くなくなっていきました。
テスト前になると、友だちにノートを貸してもらってコピーして、それをノートに書き写す。
これって勉強か?と思いながら、ノートを提出するためのノートを作るだけに格闘して徹夜。勉強する時間はゼロ。
きれいなノート提出が必須でノート提出とテストの点が半々の授業とか
三角だらけの答案とか(国語ではないのだから、漢字の点がないとかで三角にするなよなあ…!)心が折れたエピソードがいろいろあります。
そんな中学3年間。
マークシートと学力テストは抜群に良い成績をとるたびに「普段のテストももっと真面目にやれ」と怒られました。いつも真面目にやってるわ。
先生はまさか、提出するノート作りに徹夜してるなんて思ってなかっただろうなぁと思います。
高校生になると勉強がまた好きに戻りました。
理由は1つ。ノート提出がない。
自分で思うように教科書やノートに落書きメモしながら授業が聞ける。しっかり聞いてるから頭に入る。
私には、板書ではなくて、この勉強の仕方が一番合っていたようです。
あのノート提出はなんだったんだろう。
あの中学3年間のノート提出。
板書の苦行。
私の場合は、それが苦痛過ぎて、授業に集中もしてなかったです。
読み書き苦手もいろいろ。
勉強の仕方もノートの取り方も、みんな違う。
自分にあった、その子にあった、やり方を見つけていけたらいいなと思います。
追記
板書にこだわらずに資料を配布してくれるとすごく助かります。
ほかに、書きうつす内容を全部ではなくポイントに絞って、それをわかりやすく提示してくれるなど。
今の時代なら…板書のかわりにパシャっと写真で代用。勉強に限らず、内容をメモする目的ならそれでokと思います。学校から社会へ出たら、板書が必須という状況はないですから。