・なぜ絵本を作ろうと思ったの?
・親が精神疾患になったときの子どもの応援というテーマがどこから生まれたの?
ぷるすあるは/プルスアルハの活動のとりわけユニークな2点について。団体の始まりの経緯とあわせて書いていきます。
絵本の構想は、臨床経験と、制作担当の個人的な体験とがもとになっています。
チアキは、地域の診療所で長く勤務していた経験があります。そこで、こんな子どもたちに出会ってきました。
・横になっていることが多く、なかなか病院にも来れない母親にかわって、自転車で薬をとりにくる小学校低学年の子。母親が療養のために実家に帰ると、具合が悪くなって連絡がくるかもしれないからと、学校を休んで家にいるように。
・家事をすべて担っている小学生。
・小学校高学年で、受診のたびに母親の様子を伝えてくれる子。「自分がもっともっといい子でいないと。お母さんに迷惑をかけないようにしないと」といつも考えていた。
子どもたちはいろいろなことを感じ、考え、いろいろな工夫をしながら、ほんとにがんばって日々暮らしている──がんばるのはよいことですが、どこかで、親の病気を自分と関連づけたり、必要以上に責任を感じたりしていました。「お母さんは病気のせいで具合が悪いんだよ。◯◯ちゃんのせいじゃないんだよ」とチアキは子どもたちへ伝えてきたと言います。そんな子どもたちの姿は、かつての自分とも重なる部分がありました。自身も、落ち着かない家庭で育った経験があります。
一方でキタノは、精神科の診療に携わる中で、患者さんの子どもの存在を考えることはほとんどなかったように思います。振り返ると、その患者さんは母親だったり、父親だったりしたわけですが、子育てについて話し合う機会も、子どもたちが一体どんな暮らしをして、何を感じていたのかを考える機会もありませんでした。
精神保健福祉センターで、医療から地域へとフォールドがかわり、病院では聴く機会のなかった声を聴くようになりました。うつ病の配偶者向けの講座では、家族のたくさんの思いにふれ、そして講座の度に子どものことが話題にのぼりました。子どもへの影響が心配、子どもに申し訳ない、日中家にいる父親のことを子どもになんて伝えたら…?
家庭内に依存症の問題を抱えながら子育てしている親の座談会(これはプルスアルハを始めた後)では、「弱音を言ったらやっぱりダメな親だと思われるのではないか」「子どもを取り上げられるのではないか」といった声が聞かれ、ママ友は勿論のこと、地域の子育て支援機関でも病気のことを口にできない、という声もありました。親御さんもまた、子どものことを気にかけているという現状が見えたのです。
出会ってきた子どもたちと家族、自身の体験から、支援の必要性を感じたこと。たくさんの子どもたちがいるのに、これまで取りくまれてこなかったこと。それが原点になりました。
絵本を選んだのは、チアキの描く絵が、心に突き刺さったからです。色彩、登場人物たちの表情、ダイナミックな構図etc。前職の精神保健福祉センターに同僚同士として勤務していたとき、「安心できない家庭の中を頑張って生き抜いている子どものグループ」の立ち上げにかかわる機会がありました。そのプログラムで使用する紙芝居をチアキが手作りし、手応えを得たことが、絵本づくりの直接のきっかけになりました。
絵本は、紙の温かい素材で、親子や、支援者と子どもの間をつなぐ、コミュニケーションにつながる素材です。大人も、子どもの気持ちと関わるときの雰囲気を「体感」できます。共通のツールがあることで、家族やコメディカルスタッフ、教員など、子どもにかかわる人々が、共通の方向性をもって支援することができ、普及効果も大きいと考えました。「絵本になっているくらいだから、自分ひとりだけじゃないんだ」と子どもが感じてくれたら。
何のあてもないところから構想を膨らませていったのが、プルスアルハを始めた2012年の前の年のことです。『必要だけど世の中にない…だったら作ろう』これは開設以来変わらないぷるすあるはのスタンスです。2人とも、ものを作ることが好き、というのは共通点。新しいものをゼロから作ることへワクワクしたことを覚えています。