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Uさん[30代・男性]のストーリー 親が精神障がいの子どもの立場から

Uさん[30代・男性]のストーリー 親が精神障がいの子どもの立場から
2017年8月18日 pulusu

精神障がいをかかえた親をもつ子どもの立場の方(今は大人になった方)や、障がいを抱えたご本人ご家族の体験をまとめたインタビューコラムです

目次


01. わたしのストーリー

02. それぞれの年代で 嬉しかったこと/しんどかったこと/こんなサポートがあったらよかった、のまとめ


 

01. 私のストーリー

 

私が20歳くらいのとき、母は初めて病院を受診し、統合失調症と診断されました。
初めて診断名を聞いた私は、医師から病気の説明を受けたとき、ただの「怠[なま]け者」ではなく、病気だったのかと、心から納得できました。母は、いわゆる独語[どくご・ひとりごと]のような奇異な言動はなくて、病気だとわからなかったら私はずっと母をただの怠け者だと思い続けていたと思います。
診断名を聞いたその日から、母との関係が良くなったという点でも、病気だということを知ることができて本当によかったと思います。

 

私が小さい頃から見てきた母は、いつもぼーっとしていて、家事もろくにしない人でした。わけも分からず突然泣き出すことがあり、見ている自分も悲しくなってしまい、幼かった私は隠れて泣いていました。入浴は月に1回くらい。料理を作っても全然美味しくない。母の料理は食べたくなかったので夕飯は即席ラーメンにしてもらうことが多く、高校時代に、サプリを食事替わりにしていたら、体育の時間に貧血で動けなくなったこともありました。
ときに母は的外れなことを言いうこともあり、思春期になった私は、母に暴言を吐くようになりました。そんな母のことはずっと嫌いでした。
私は、母がいる家に居たくない一心で高校卒業とともに上京しました。

 

そして、私が上京しているときに、母は初めての受診につながります。
実家の生活が厳しいということもあり、私は仕送りをしていましたが、その後、母の病状のことや、経済的なこと、他の家族や親戚のこと、いろいろあって、やむなく実家に戻りました。
それから、母はずっと精神科にかかり、主治医が何人も代わったためか、薬の量や内容とともに母の病状が変わってしまい、入退院を繰り返しながら、気づけば10年以上たちました。

 

【子どもの立場として、家族として、精神科の医療現場で感じた体験】

 

他人から言われてショックだった言葉。いくつか思い浮かびますが・・・
「お母さんのことを聞いているの。(他の家族のことは答えなくていい)」
入院先の看護師から、母の病状の聴き取りの際に言われた言葉でした。身体障がい者の家族が他にもいるので、家庭内のことをできる限り知ってもらいたかったのですが・・・。
結局、そのひとことで、信頼関係を築くことはできないなと感じました。

 

「困ったことはない?」「仕事はどう?」など、医療関係者からは、病状の説明だけでなくて、家族の今の状況を聞いてくれるだけでも、家族はほっとできます。特別なことばは求めていません。心を開くのは、特別な一言というよりも、継続的にかかわるという積み重ねだと思います。その上で…例えば「ひとりで大変だけど頑張っているね」のねぎらいのことば。あるいは、病院外でのケア会議にまで参加してもらえるなどがあると嬉しいです。これは、主治医の先生というよりは、コメディカルの方が担ってくれているかもしれません。本人はいない場で、家族が話せるような場を設けてもらえたらいいなとも思います。

 

自分以外に、家族の中で母の病気に対する理解がないことは、しんどいことでした。
宗教に傾倒し、母の服薬管理を任せられない家族、こんな家族の問題に全くかかわらないようにしている家族。親戚も病気に無理解で、母を追い詰めるようなかたちでいやがらせをされたこともあります。
保健所や、社会福祉協議会などにも相談しましたが、一筋縄ではいかない状況でした。

 

【社会へ】

 

精神疾患の病気の正しい理解がまず広がること。
人によって受け止め方はさまざまだと思うので、感情としてどう受け止めるかは別として、考えるためのきっかけとして、もっと広く、社会に精神疾患のことが知られて欲しいと思います。
また、今振り返ると、もっと早く、第三者の支援が入ればよかったと思います。

 

どこか、社会には、「家族」の固定観念や理想論があって、病人は家族が面倒をみるべきとか、1つ屋根の下で暮らすのが当然とか、子どもなんだから親を看るのは当然…とか。「家族なんだから」というひとことでまとめようとする、社会のそんなメッセージが、家族、こどもの立場の人の心をしばって、苦しめてしまうことがあります。
同じ子どもの立場でも、環境はひとりひとり全く違っていて、病気の親といっしょに暮らせたり、暮らせないこともある。「家族なんだから」というひとことで片付けないで欲しいです。

 

【子どもの立場の若い年代の人へ】

 

家族を変えられず、自分自身もなかなか変えられず、つらい記憶は簡単に消えないし、思い出すだけで涙が出てくることもあるでしょう。
家族をうらむこともあるかもしれません。
世の中をうらむこともあるかもしれません。
自分自身をうらむこともあるかもしれません。
それでも、家族のことを考えない時間をちょっとでも作って、まずは自分を大切にしてあげてください。

 

02. それぞれの年代で 嬉しかったこと/しんどかったこと/こんなサポートがあったらよかった、のまとめ

 

【小学生・中学生】


嬉しかったこと:放任されていたので、塾に行かされることがなかった。逆に、勉強でも遊びでも、やりたいと言ったことはやれせてもらえた。


しんどかったこと:学校にお弁当を持っていかなくてはいけないときに、いつも同じ中身、あまり美味しくないお弁当で、楽しみではなかった。


こんなサポートがあったら:早めに受診につながるようなきっかけがあればよかったと思う。例えば精神疾患についての知識を得る機会、相談できる態勢、特に学校。今ならインターネットでもいいと思う。

 

【高校生】


嬉しかったこと:行動範囲が広がったので、家にいる時間が少なくなった。


しんどかったこと:父の事業が傾き、実家を引き払って引っ越しをしたが、それ以降、母が自殺未遂をしたり、おかしなことを言うようになったが、友人や周りの人には言えなかった。


こんなサポートがあったら:小中学生のときと同じ。早めに受診につながるようなきっかけがあればよかったと思う。例えば精神疾患についての知識を得る機会、相談できる態勢、特に学校。今ならインターネットでもいいと思う。

 

【それ以降】


嬉しかったこと:家を出て自活できるようになった。理解してくれる人に出会えた。適切なサポートをしてくれる専門家に出会えた。


しんどかったこと:再び母が自殺未遂をし、母の様子を見に実家に帰らなければならないことが度々あった。他の家族や親戚が病気に対する理解がなかった。同年代の人たちと自分を比べてしまい、辛い気持ちになった。


こんなサポートがあったら: 行政と医療・福祉がうまく連携してサポートしてくれたらよかった。

※本コラムは、Uさんへのインタビューをもとに、ぷるすあるはがコラムを作成し、Uさんの同意を得て掲載しています。個人が特定されないように、本コラムの主旨に反しない範囲で、一部事実関係を変えて記載している箇所があります。

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